●バレンタインの歴史
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼります。
当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日でした。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもありました。
翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でありました。
当時若い男たちと娘たちは生活が別でした。
祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていました。翌日、男たちは桶から札を1枚ひきました。引いた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。
そして、多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚しました。
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ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止ししました。
キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられて、処刑されました。
処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。
バレンタインはルペルカ祭に捧げるいけにえとされたのであります。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったのです。
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この逸話には若干つけたしが必要であります。
初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられます。
ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけです。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだったのです。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられます。
こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いきました。
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聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられています。
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より】
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☆☆ちょっとこの話のほうがよいかも・・・
その昔ヨーロッパで結婚を禁じられていた兵士と村の娘のカップルがいました。それをかわいそうに思った牧師の聖バレンタインは二人の結婚を認め、結婚式をあげました。しかし、規則を破ったため、聖バレンタインは処刑されてしまったそうです。それ以来バレンタイン牧師に感謝するという気持ちを込めて、恋人同士はがお互いに感謝しあう日になった、ということでした。
【
Multiculturalpedia『異なる文化を楽しみながら学ぶ辞典』より】
途中までは同じですが、最後こちらの方がちょっとホッとしませんか。